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[坂田祐日記]シンポジュウム

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月11日(火)19時05分27秒
編集済
  八景キャンパスで開催の「『坂田祐日記』の意義と課題」のシンポジウムに行ってきました。

 前の席に小林照夫元文学部長が座ったので、久し振りにご挨拶を。
増田理事長は最後の総評をするためか、一番前の席。その後ろに総合司会役の富岡幸一郎教授。
理事長に「ラグビーの入れ替え戦が気になりますね」の問いかけに、この会合は大事なので致し方ないとの弁でした。

 富岡教授の開会あいさつと祈りでスタート。 概略を下記します。

1.テーマの講演:古谷圭一教授は坂田院長とは年齢が56歳も離れているけれども、東大から四 谷教会で
   受洗したという同じ経験をされており、縁が深く日記の解読に携わっておられる。
   日記は62冊もあるために大変だけれども、来年は院長の没後50年になり、中高関東学院  の
   創立100年になるのでなんとか目途をつけたいとのこと。

2.シンポジウム:5人の発題者
 ① 中村崇高氏(元県立公文書感研究員):貴重な資料であり、散逸や損傷しないうちに
    アーカイブ情報化すべきである。

 ② 樋口良澄氏(国際文化学部研究員、元岩波書店編集部):坂田祐日記は西脇順三郎(元ノーベル文学賞候補)
    に匹敵するもので、早慶大などの創立者の逸話に劣らないものである。
    関東学院は一般社会へのアッピールがへたである。

 ③ 三好秀人氏(神奈川テレビ顧問):日記の解読に時間が掛かるならば、ポイントをピックアップしてでも、
    早く「イメージアップ大作戦」を展開すべきであり、メディアに積極的に働きかけてはどうか。
 ④ 小林照夫氏(関東学院名誉教授、元文学部長):坂田院長は教育熱心であり、人を育ててくれた。
    「建学の精神」はもっと社会にアピールしたい。

 ⑤ 海老坪眞氏(関東学院大学キリスト教と文化研究所研究員):この日に合わせて「物語風  坂田祐 見聞録」
    と題したB6版で200ページの本を上梓。皆に配って、坂田院長から薫陶を受けた話をされた。
    この本の発行日は2018年12月16日になっており、発行日前に入手したが、この日は
    坂田院長の命日になるそうです。

   海老坪眞研究員のことは学生時代に中居京教授の指導を受けて、YMCAの設立に参画されて
   初代委員長になっていますが、これは別途に報告とします。

 5時半に会合が終わり、表に出ると、キャンパスの並木とチャペルの階段や周辺が
 イルミネーションで綺麗に輝き、学生たちがそこここで写真を撮っていました。







 

入替戦,破れました

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年12月 8日(土)21時13分11秒
編集済
   本日 熊谷で2時より開催された 入替戦で関東は 中央大に47対29で敗れました。
 2トライ取ったら 1トライ返す 展開で差を広げられました。
 1部と2部の格差を見せられました。
 2部に落ちた事のない中央は 絶対に負けられないと言う闘志満々、
 関東は 勝つかもしれないと言う ふんわりした様子。
 当初トライ取られたのが この試合を物語っていてた象徴のようでした。
 結局3トライ程度のの差、 願わくは 後 20分あればと思う 我々でした。
 この雰囲気を 是正するには 死ぬ思いで 練習するほかなし、 と感じた次第です。
 このままでは 二部で勝利するものの、 一部との対抗において 望みを持てないと感じました。
 12時より 2部の東洋大は 1部の専修大に 40対 20ぐらいで完敗との事でありました。
 因みに 新装なったオリンピック用のAグランドは 月末に向けて 2試合大学選手権を
 開催するとの事でした。
 与えられる扱いの差の大なる事 改めて感じております。
 2部と1部では 幕下から十両を超えて幕内との差があると感じられました。
 中々超えられない壁と改めて考え込んでいます。
 関東学院大学 ラグビー部の皆さん、 頑張ってください、 昇格を賢明なる努力をされる様に願っていま す。  関東で 世に名前を知らしめられるのは 昭和10年の優勝以来、ラグビーだけのような気持が しています。

 以上 報告を終わります。
 

[坂田祐日記]シンポジューム

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月 7日(金)14時18分36秒
編集済
  明日12月8日午後1時半から5時に八景キャンパスのフォーサイト21で『坂田祐日記の意義と課題』
のシンポジュームがあります。

古谷圭一氏の主題講演があり、その後各界からのメンバーによるシンポジュームになります。
総合司会は富岡幸一郎教授が務め、シンポジュームのメンバーに海老坪研究員も参加されます。
詳細は関東学院大学のHPをご覧ください。

当日は熊谷でラグビーの1,2部入れ替え戦もありますが、今年のメンバーならば楽勝と信じているので、
「人になれ、奉仕せよ」の言葉を残した坂田院長の歴史と功績の話を聞きに行ってきます。


 

ラグビーの入れ替え戦情報

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年11月27日(火)08時19分48秒
    12月8日 土曜日 午後2時より 関東学院 対 中央大学戦が  熊谷市の第二グランドで
 開催されます。
  12時より 東洋大学 対 山梨学院大 との対戦、あり。
 

[内村鑑三の西郷論]

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月25日(日)18時20分27秒
編集済
  これも「西郷隆盛と聖書」の講演会で伺った話。

内村鑑三は1859年生まれで、西郷隆盛とは31歳も年が離れているが、
西南戦争で西郷が自決した年に、札幌農学校に2期生として入学。新渡戸稲造と同期。
翌年19歳の時に「ヨナタン」の洗礼名で受洗したそうです。

24歳の時に、私費で渡米し、3年半の苦労の末に理学士の称号を得て、神学校でも4か月間勉強。
帰国後、困窮時代が続く中で、著作に没頭。「基督信徒の慰め」「如何にして基督信徒になりしか」などの名作を発表。
この頃に「Japan and the Japanese」(後に[Represenntative of Japan]と改題)を発表。
英文での代表的日本人5人の紹介文ですが、そのトップに「西郷隆盛」を書いているそうです。
内村鑑三をうならせた西郷隆盛でした。

ちなみに後の4人は、上杉鷹山、中江藤樹、二宮尊徳、日蓮だそうです。
この年は、日清戦争を行った年であり「日清戦争の目的如何」を発表。盛んに非戦論を提唱していたそうで、
西郷隆盛も生きていたら同じ主張をしたことでしょう。
 

[西郷隆盛と聖書]講演内容

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月25日(日)12時32分29秒
編集済
  講演者の守部喜雅氏の今年はNHKの「西郷どん」の影響で、全国からの講演依頼が多く、引っ張りだこの状況。
1940年生まれですが、90分間の講演を疲れも見せず、身振り手振りを混じえて見事でした。

講演でのご存知の西郷物語は省略するとして、題目の聖書に関わることを書きますと、
西郷は二十歳過ぎには聖書を読んでいたそうです。そのきっかけは「これからの日本は欧米のことを理解する必要あり」でした。
西郷が好んで使った言葉の「敬天愛人」は上海カソリック教会にあった額に書いてあったもので、
現在は鹿児島の「西郷記念館」にあるそうです。

鳥羽伏見の戦いから、会津、荘内で勝利した時には「貴藩とは運命による戦いをしたが、戦いの後は兄弟である。
これからは世のため一緒に働こう」と呼びかけたそうで、マタイ伝の「汝の敵を愛せよ」の実現でしょう。

 「征韓論」問題で政府要人を辞めて薩摩に戻った西郷は、同じく薩摩に戻ったいきり立つ青年たちを抑えるために
学校を作り、そこで3年間聖書を教えており、その後の明治6年には設立間もない
「横浜海岸教会」で宣教師から洗礼を受けたそうです。

西郷は「江戸攻めか江戸開城か」で勝海舟と話し合い、江戸を守ったが、
勝海舟もキリスト教会で説教を聞いたことがあるそうです。
この頃にクリスチャンであったり、キリスト教に馴染んだ人達はかなりいて、
坂本竜馬、土方歳三、桂小五郎などもそうだったとのことでした。
 

[西郷隆盛と聖書]の講演会は・・・

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月21日(水)12時53分48秒
  2年ぶりに訪れた大学は、小田原の法学部が八景に移り、法学館としての3号館も出来上がり、中央広場の木々も大きくなり、見違えるほど綺麗なキャンパスになっていました。
もっとも皆さんは「さんようNo.64号」に掲載の写真をご覧になったでしょうが・・・

講演会場のSCC館(情報科学センター)は正門からまっすぐの正面奥の4階の建物で、その昔「キリ研」があったところ。
学生時代交代で牛乳販売をした前の広場はSCC館を背にして「オープンチャーチ」が設定されてあり、学生たちの憩いの場になっていました。

 さて講演会は学生も大勢おり、盛況でした。

 

ラグビーの報告

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年11月20日(火)09時23分3秒
編集済
    11月18日 日曜日 拓大グランドで開催された 関東学院大学と 立正大学との 試合は
  68対54二て 関東の勝利でした。
  従って 2部 1位が 関東、2位が東洋大、3位が立正大学となりました。
  12月8日 土曜日 熊谷の第二グランドで開催される 入れ替え戦は 下記の通りです。
  第一試合 東洋大学   対 拓殖大学 ⇒ 一部 最下位の上、
  第二試合 関東学院大学 対 中央大学 ⇒ 一部 最下位   一部の試合で全敗
  会場は 改装なった第一グランドではなく、 第二グランドです。
  来年度 一部に昇格すると 晴れて オリンピックの開催される 第一グランドでの試合に  なるでしょう。
  期待して 応援して 参りましょう。

  何といっても 関東学院大学の知名度を上げるのは ラグビー部の活躍です。
  益々の活躍を 期待して参りましょう。
  
 

「神と出会った人」講演その2

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月15日(木)17時32分31秒
編集済
  今回の講師は米国育ち、大学で神学の勉強をした開発センター准教授の冨田茂美チャプレンです。

テーマは「エリザベス・C・スタントン」:米国および世界の女性選挙権運動の推進者。
スタントンは1815年NY生まれ。弁護士の父親の教育を受けて育つ。成績優秀で大学に行こうとしたら
「女だから」と反対される。 当時の米国でも「レデイファースト」は建前だけであり
「女性は家を守り、夫を立てること」が優先されていました。
例えば 離婚の権利、雇用、財産権の権利などは女性には無く、ましてや選挙権も無かった。
7人の子供を育てながら、熱心なクリスチャンであった彼女は「神は男と女は平等に創られた」
女性への差別は
「神の言葉に反するものだ」との考えから、社会の男女差別の矛盾を変えることを決意。
35歳の時に仲間と女性差別撤廃の啓蒙のための新聞を発行し、また精力的にたくさんの本も出版。

1865年、50歳の時に「南北戦争」が終わり、奴隷制度の廃止、黒人への選挙権も与えられたが、
女性の選挙権は与えられなかった。
そこで同士を集めて「全国女性参政権運動協会」を作り、83歳で亡くなるまで活動を行ったが、
憲法が作られたのは没後18年の1920年のことであったそうです。

スタントンは「不屈の精神と理論的思考の持ち主であると共にユーモアのある人」で多くの人を引き付けたようです。
今回の講師も素晴らしい人であり、誰かも話してましたが「いい人材が集まってきているなあ」と感じました。
 

高尾利数先生

 投稿者:広島:南伝稔  投稿日:2018年11月11日(日)21時12分41秒
  久しぶりに古本屋に立ち寄りました

懐かしいお名前を見つけましたので、購入しました

350円でした


 

西郷隆盛から学ぶもの

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年11月 9日(金)10時39分38秒
編集済
    民を守り愛する姿勢で島津斉彬に認められ京都に上り朝廷の世を願うものの幕府にとがめられる身となり月照と共に薩摩に戻るも自藩に見放されて月照と共に錦江湾に身を投げるも一人生き残り奄美大島に流され、大久保利通の進言で帰郷するも島津久光に順応せず、再び沖永良部島
に流され現地の人、愛加奈と結婚し、苦労の末、薩摩藩の要望で帰郷、諸藩の要人と交流し、
龍馬、桂小五郎等と薩長連合を組んで討伐は戊辰戦争の主軸になり、新政府陣主軸の一員となる。 岩倉具視外国視察団外遊の3年半残留新政府陣の主力として見事な政治を司どるも帰国した外遊団と征韓論で物別れとな帰藩、色々あり西南戦争に担ぎ上げられ、結局、政府軍に敗北、
自害に至る。対した大久保利通も半年後、東京紀尾井坂で福井藩士により暗殺される。
西郷がもし外国を見て居たらこれ程大久保と意見の相異はかかったのではないかとも思い、誠に残念至極、奄美に流された際、敬天愛人・キリスト教理念に学んだと考えられる。
奄美に残した遺児・西郷菊次郎は西南戦争で片足を失うも若くして米国等に留学、京都市長も
勤め、父・隆盛を偲ばせる人物となる。  それにしても生誕の故郷・同じ町内に幕末維新の
大家が何と多く出たものか、見事という他無し。  西郷の生き方を身を持って実践した結果で
あった事でしょう。   西郷は身を捨てて事に当たる姿勢で多くの説得力を発揮し、大久保利通は理想の理念を実現線とする鋭角なる論理を展開した違いが見受けられる。 何と生き抜く事の難しい事かと感慨にふける思い多々と憶える。  明治憲法発布から日清・日露戦争まで明治政府を構築した遺勲を残した大人物がいたものの、それ以降は佐幕派を実家に持つ人たちが大学や帝国陸海軍の士官学校に学び政治家を排して大東亜戦争への道を指導し、あの敗戦となった。
肩書・勲章・星一つで部下に意見を封じ込む政治・軍略を進めた所に戦略なき戦争展開と悲惨なる敗戦を招いた要因は大きい、山本現代に至っては五十六、米内光正などは愚将と評価されつつある。暴走コンビとしてノモンハンの服部卓四郎・辻正信、蘆溝橋・インパールの牟田口廉也、等は目に余るもの在り。
昭和11年2月24日・2.26事件を起こした青年士官の皇道派を追放して以来、東郷秀樹派の統制派の天下にして 政治も軍隊も やりたい放題、したい放題、 皇道派は死と帳面する最前線に置き送り込まれる始末。
南方戦線やガダルカナルの辻正信、等は愚将の典型。  硫黄島の栗林、マレー・ラバウルで
農作物を育てて自活させた今村、比国の敗戦で悲惨な中を戦った本間、などの良識派は出世出来ない軍隊の風潮、等から 日本人の携わった戦争の実態、本質を学び直したいものです。
戦いの後、全く反省会を催さないで実態を隠しまわった山本五十六などは大いに?正に問われる必要があると感じている。   特攻隊を進めた本質的精神は純真なる武士道を元にした邪道と言わざるをむ得ない。  日清・日露の大勝に溺れたる補給兵站を無視した戦略なき戦いはどれ程多く兵士の命を奪ったか、そしてどれ程多くの未亡人、家族を生じさせたかなど窮地に帳面したる日本人の在り方を反省したいものです。
 これらの事実を知る上から真実の歴史を学ぶ必要と使命を憶えざるを得ません。
 又、今日の宗教、特にキリスト教に在っては どんどんとアレルギーを持たれている実態から
目をそらしたくないとも考えて居ます。
 教会にむおいて牧師だけが語り、その考えを全てアーメンと言う言葉で了解し、聞き返す事の出来ない仕組み、又 現代社会・経済の発展変化に全く対応し改善、改革なく、同じ理念を50年も聞いているとこれでいいのかと考えざるを得ないものも憶えても居る。
 教会に集まる人々を見ると年金生活で支えられている前期後期高齢者ばかりで全く少年少女青年、現役勤務の人は不在なるも何のむ対応もしない教会運営に不思議ささえ感じられる、これでいいのか、と。   しかし その意見を申し上げる場も、聞く耳も持たない実態に失望冴え感じる。   商売、企業なれば 即刻倒産の憂き目必定なるも 何の不自然さも感じられていないように感じている。  語られる説教において30年、50年、昔のお話を聞いても変りないモノとも思える。 歴史を取り入れたものを嫌う姿勢があるのではないか、その割に2000年以上昔の出来事、歴史は 毎週聞かされている様に感じている。
 この豊かになった現代社会で如何に生きるか、子供を育てるかの 具体的な処方は如何にするかを説く場が必要と感じている。  豊かになった社会では益々心が、生き方が貧しくなっている。  それを説く人が余りにもいない。
 思い返せば昔のTVでバカTVが多かったが今は 為になるものが殆どに変わってきている。
 変化に合わせている、対応している流れがある。
 我々はどう変わる必要が゜あるのか。

 

折々のことば

 投稿者:髭管理人  投稿日:2018年11月 8日(木)13時43分43秒
編集済
  我が家は2代にわたって、朝日新聞(朝夕刊)を取っています。父親の義兄が朝日新聞社に勤めていた関係で、昭和10年代からです。記事が「堅いから」?という勧めで。

今朝の朝刊に、小さなコラム「折々のことば」(コラムニスト:鷲田清一)という毎日1面の右隅に載っています。
時折、聖書からの一説がの載ることがありますが、今日も新約聖書からのもがありました。
 

西郷隆夫氏

 投稿者:広島:南伝稔  投稿日:2018年11月 7日(水)21時38分8秒
  過日、西郷隆盛のひ孫の「西郷隆夫氏」の講演を聞く機会がありました。

ここでは、西郷隆盛論ではなく、ひ孫であるが故の苦労話が多く語られました。

(写真の右が氏で、左は私です)
 

「西郷隆盛と聖書」講演会

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月 5日(月)18時33分16秒
  公開講座の時に「西郷隆盛と聖書」講演会を紹介されました。
11月12日(月)13-16:30に八景キャンパスのSCC館ベンネットホールで開催。
講演者は森部 義雅氏です。氏は「キリスト教新聞」の編集顧問をされており、ジャーナリストとして
四半世紀にわたり、中国大陸のキリスト教事情などを取材してきたそうです。

 ちなみに中国でのクリスチャン人口は10%、台湾15%、韓国では新旧合わせると55%だそうです。
 さて 日本では何%だと思いますか・・・

 ところで西郷隆盛は「漢訳聖書」と出会い、それを読み「天はすべての人を愛されるお方」であることを知り、
「敬天愛人」の言葉を大切にして、「愛と赦しに生きる」ことを決心したそうです。

さて どんな話が聴けるのか楽しみです。久し振りの八景キャンパスに行こうと思います。

 

「神と出会った人]の講演

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月 5日(月)17時53分51秒
編集済
  大学のチャプレン7人が一人ずつ担当し「神と出会った人」の講座を聞いています。
前々回は経営学部の内藤幹子准教授/チャプレンによる「J・G・オンケンとバプテストの出会い」がテーマ。

オンケンは仏でナポレオンがトップに駆け上がろうとしている時代の1800年に戦乱が続くドイツで生まれている。
幼少期は貧しい生まれで教会生活に喜びを得ていた。14歳で英国に渡り、メソジスト教会で回信。
25歳でドイツに戻り、ハンブルクでドイツ初めての「日曜学校」を始めたり、労働者たちに200万冊の聖書を配布。
その後米国に行き、バプテストの出会いがあり、34歳の時にハンブルクのエルベ川のほとりで7人の仲間と教会を発足。
83歳までバプテストの普及に努めたそうです。

前回は理工学部の松田教授/チャプレンによる「ボンへッファーの生き方から学ぶ」のテーマ。
ボンヘッファーは1906年にドイツで生まれ、21歳でベルリン大学から神学博士号を取得した天才的神学者。
当時は欧州ではヒットラーの時代で、第二次大戦突入、そしてユダヤ人迫害の時代。牧師で神学者でありながら、
政治的抵抗運動に加担していた。結局1944年10月にヒットラーに逮捕されて、ゲシュタポ地下牢に幽閉される。
各地の収容所に点々と移されて、ヒットラーが自殺する1週間前に殺害される。わずか37歳の若さ。

 講演の刺激を受けて、改めて「フランス革命」の本などを読んでいます。
 

2部 優勝す

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年11月 4日(日)16時17分59秒
   本日 東洋大と56対12で勝利しました。  トップで入れ替え戦に出られます。
 12月15日 新装なった熊谷で入れ替え戦が 開催されます。
 詳細は 後ほどしましょう。
  
 

一部への道  2報

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年10月29日(月)23時54分25秒
編集済
    11/28 の試合は 立正大27点 対 東洋大31点、で東洋大の勝利、
  関東学院大は 11/4  東洋大戦、  11/18  立正大線、いずれも国士館大学グランドにて
  て開催、

  入れ替え戦は 12/9  改修後の熊谷グランドにて開催、 7位チームは 11時半より、
  8位チームは 14時より開催される、
 

一部への道を探る

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年10月29日(月)23時34分22秒
   一部 8チームの内、 1勝4敗 日大、5敗は拓大と中央大、 この中より2チームが入れ替え戦に登場する。
 二部 下位は 関東学院大、東洋大、立正大が しのぎを削っている 状況、
 母校が残りを2勝すると 1部最下位と取り組む事になる。
 如何なります事か 気をもんでいます。
 

小泉進次郎氏の講演会

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年10月29日(月)19時11分44秒
編集済
  10/27(土)にパシフィコ横浜で小泉進次郎氏が基調講演のシンポジュウムがありました。
朝日新聞社が「朝日教育会議」を立ち上げて、全国15大学と組んで、社会的課題への解決策を議論する場を設定。
早稲田と法政大学は各学長が基調講演を行うようです。

 関東学院大は「未来を切り拓くための提言」として「災害・復興のパラダイム転換」のテーマでシンポジュームを開催。
関東学院大がこの分野ではリーダー役の感がある「防災・減殺・復興学」について、規矩学長が
専門の立場でプレゼンを行い、基調講演につなげます。

 小泉進次郎氏は「禍を転じて福と為す」のテーマで多くの各地の被災地を回った経験の話をされ、
特に『被災地で忘れられない言葉』の話しをされたようです。

 講演会の定員は1000名であったけれど、希望者が2倍ほどもあり、残念ながら聞きそびれました。
念のために他の大学のシンポジュウムの定員は300~500名程度です。人気のほどがうかがえます。
 

ラグビーの結果

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年10月28日(日)22時12分43秒
    本日、八王子市の奥の拓大のグランドで開催された 2部戦、関東学院 対 国学院大は

  21対19で 関東学院の勝利でした。

  11/4 日曜日 東洋大、 11/18 日曜日  立正大学、  いずれにか勝利すると入れ替え戦

  に出られる。  両者に勝利すると 一部゜最下位のチームと対戦する事になる。

  この入れ替え戦に1勝すると 来期は晴れの一部に上がれる。

  立川選手が大学の職員として加わり、一段と試合展開も優位に進める様になったと思う。

  噂として 来期かいつかは 監督に就任する話もちらほらしている。  夢の舞台に立ちた

  ものです。
 

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