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頭脳警察の記事

 投稿者:本田信明  投稿日:2019年 2月 8日(金)09時17分41秒
  同窓で我々には懐かしい「頭脳警察」の記事が夕刊に載っていました。紹介まで投稿いたします。  

お相撲さんが取り組んだラグビー

 投稿者:  無法松  投稿日:2019年 1月 3日(木)21時52分59秒
    2日に開催された 全日本学生選手権、 帝京 対  天理  は  29対7  天理の大勝
  グランドに登場した瞬間、何と天理の選手の体格の良い事かに驚いた。
  帝京は あの体格で何年も早稲田、慶応、明治、等の伝統校を蹴散らして 勝利を積み重ね  てきた。
  その提供の選手が小さく見える天理の選手諸君てあった。
  それを見比べた瞬間、帝京は叶わないと直感した次第であります。
  天理の選手諸君、胸も腹も大した大きさで 色黒の外国選手もかなりいた。
  正に、高砂部屋より 飛び出して来たのかと 目を見張るばかりでした。
  しかも その面々、動きが非常に敏捷で目を見張るものがあった。

  この試合は 正に大相撲の関取が展開する ラグビーと感じました。

    二部で全勝して入れ替え戦に臨んだ関東、 天理と取り組めば 幕下と幕内、しかもその上  位の三役格ではないでしょうか、ではなかろうか、  怪我無くて良かったと 思う展開で  在りましたでしょう。

  優勝戦は 天理と明治、  明治の勝ち目は全くないと思います。
  怪我の出ない試合であります様、念じております。

  
 

天理ー帝京戦

 投稿者:Ivy Sapporo  投稿日:2019年 1月 3日(木)17時52分46秒
  帝京が10連覇を目前にして敗れましたね。
この掲示板の5月1日に投稿しましたが、4月30日の札幌ドームでの明治ー帝京戦は明治の勝利でした。今年の帝京はどうしたのかな?と感じたものでした。そして、準決勝では、それ以上に天理が強かったですね。
東京勤務だった15年前。味の素スタジアムのサブグランドでの関東ー帝京戦。練習試合でしたが
関東が負けました。関東に勝ったと、赤いジャージの選手は泣いていました。そんなシーンを思い出しました。
 

花園ラグビー大会2日目

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月28日(金)13時29分11秒
編集済
  いま試合が終わり。
桐生第一が110:0米子工業の結果であり、完封の大勝利でした。

霜村監督!!おめでとうございます!


 

高校ラグビーの見どころ

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月28日(金)11時26分31秒
編集済
  昨日から「花園ラグビー大会」が始まりました。いままでは来春の大学入学を期待して、佐賀工業を
応援していました。今年は次の2校を応援しようと思います。

① 神奈川代表:桐蔭学園・・・春の王者であり、今回も優勝候補の筆頭ですが、神奈川県予選では
     関東学院六浦が準決勝で対戦。38:8で惜敗したが、六浦は年々力を付けており、
     いずれ慶應、桐蔭を破り花園への期待をしています。
    関東学院六浦の監督は大学で山村チームのFŁで活躍した林広大さんで監督就任9年目であり、優秀な選手を育てています。
     3年生のCTBの松下怜央君は花園出場以外の選手ですが、高校ジャパンに選出されています。
     この4年間は県下で桐蔭、慶應につぎ3位になっています。

② 群馬県代表:桐生第一・・・初出場。監督はあのジャパンでも活躍した霜村誠一さん
     監督就任4年目で花園出場という快挙です。
     関東学院六浦の林広大監督とは同期生です。  花園初出場、初勝利を期待しています。
 

YM初代委員長のこと

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月27日(木)18時36分23秒
  YMCA初代委員長の海老坪さんは、昨年のYM・OB会にお出でになり初期の「YMCA活動」のことなどをお話されましたが、
今年の3月に発行された「学院史資料室ニューズ・レター」にも3ページにわたり「関東学院とYMCA活動」の記載があります。

1945年10月に朝鮮・平壌から復員され、翌年4月に関東学院経済専門学校(後の大学経済学部)に入学。
中居京教授から「学内でYMCAをやらないか」と声をかけられて、6月にYMCA設立前の相談会を開催。
その時の7名のメンバーで参加者募集を行った結果、21名が参加。部長に中居京教授。
講師には工専の山枡教授と経専の柴三九郎教授を迎えてスタートしたそうです。
上級生もいたけれど、出征したことで入学が遅れたものの、中学部では一番の先輩になる海老坪さんが委員長に推薦されたそうです。

さっそく、6/15,6/22(土)の午前に霞ヶ丘教会で宗教後援会を行っています。
講師は時田信夫教授と中居京教授。

夏休みの7月11-13の3日間、葉山で修養会も開催(この時は夏季聖書集会の呼称)しています。
この当時は3日間葉山に通い、10時から16時までの開催で日帰りの集会だったそうです。
3日目には坂田院長が「内村鑑三との思い出」と題して、内村鑑三と共に聖書を学んだことを話されたとのこと。
また三春台出身の伊藤卓二先生も参加して、作者として「青海は・・」の校歌を披露。歌詞の解釈もされたそうです。
 また東山荘の夏季学校にもこの時から代表者が参加されています。

 海老坪さんは1949年に卒業されますが、4月から同志社大学神学部に入学。
翌年4月に日本基督教神学専門学校に転校。1953年に卒業。

京都バプテスト教会伝道師として働き、3年後の1956年4月に関東学院中高宗教主任に就任されます。

その11月に関東学院磯子伝道所を開設。11年後にバプテスト同盟磯子の丘教会を設立。
坂田院長とは21年間の長いお付き合いになります。

経歴については「坂田祐見聞録」の著者紹介から抜粋しました。
今年12月で94歳6か月とのことですが、まだまだお元気であり、来年もOB会に参加いただきたいと思いました。
 

[坂田祐見聞録]より

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月19日(水)13時55分52秒
編集済
  『坂田祐日記』シンポジュウムで入手した海老坪さん著作の【物語風 坂田祐見聞録】は興味深く一気に読みました。

坂田院長の先祖は白虎隊隊長であるという話は聞いていましたが、この本によりそれは母方のことであり、
父親の中村富蔵さんは、織田信長死後の覇権争いで豊臣秀吉(羽柴秀吉)が柴田勝家と決戦を行った
「賤ケ岳七本槍」の一人である武士の直系で15代目にあたるとのこと。
ご両親共に歴史に名が残る武士の末裔になります。

 戊辰戦争で敗れたために、会津から青森県下北半島の最北に移封。23万石の石高が大幅に減らされて3万石になり、
しかも慣れない土地での藩士家族の生活はどん底の極みであった。

 そこから18歳の時に、家出同然で日雇いの仕事などをしながら4か月かけて東京に行きます。
仕事を求めて横浜や横須賀に行くが良い仕事が無く、心機一転と当時日本最大の炭鉱会社でありかつ大都会の足尾まで、
数日かかって徒歩で行き、少しだけのつてにより、足尾銅山で仕事をするようになるが、同時に
生涯最大の恩人に出会うことになる。これ以降は自叙伝「恩寵の生涯」などで確認下さい。

坂田院長と海老坪さんのお二人とも戦地に行き、生死を経験したという共通点があります。
坂田院長は足尾銅山時代に二十歳になり軍隊生活が始まります。近衛騎兵聯隊に所属。
日露戦争になり、旅順会戦に参加。ロシアの攻撃も凄まじく「部下が僅か6名になった。今か今かと敵弾の当るのを待っていた。
『主よ、身元に近づかん・・』の讃美歌を音痴のわたしが敵の砲声に和して歌った」と語っています。

 海老坪さんは1943年3月に関東学院中学部を卒業。その3か月後に信仰告白し受洗します。
大東亜戦争の真最中であり、徴兵制が1年早まり、卒業半年後に軍隊に。飛行訓練を受けて
翌年の8月に陸軍航空隊に配属。終戦2か月前の6月に朝鮮平壌に転属、特攻隊要員になるが、運よく終戦となり、
2か月後の10月に軍曹で復員帰国となります。やはり危機一髪でした。

戦争の体験により、非戦主義者になり『神のみ旨にかなうキリストの平和の戦士になる』ことを決意されています。 
 

[坂田祐日記]シンポジュウム

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月11日(火)19時05分27秒
編集済
  八景キャンパスで開催の「『坂田祐日記』の意義と課題」のシンポジウムに行ってきました。

 前の席に小林照夫元文学部長が座ったので、久し振りにご挨拶を。
増田理事長は最後の総評をするためか、一番前の席。その後ろに総合司会役の富岡幸一郎教授。
理事長に「ラグビーの入れ替え戦が気になりますね」の問いかけに、この会合は大事なので致し方ないとの弁でした。

 富岡教授の開会あいさつと祈りでスタート。 概略を下記します。

1.テーマの講演:古谷圭一教授は坂田院長とは年齢が56歳も離れているけれども、東大から四 谷教会で
   受洗したという同じ経験をされており、縁が深く日記の解読に携わっておられる。
   日記は62冊もあるために大変だけれども、来年は院長の没後50年になり、中高関東学院  の
   創立100年になるのでなんとか目途をつけたいとのこと。

2.シンポジウム:5人の発題者
 ① 中村崇高氏(元県立公文書感研究員):貴重な資料であり、散逸や損傷しないうちに
    アーカイブ情報化すべきである。

 ② 樋口良澄氏(国際文化学部研究員、元岩波書店編集部):坂田祐日記は西脇順三郎(元ノーベル文学賞候補)
    に匹敵するもので、早慶大などの創立者の逸話に劣らないものである。
    関東学院は一般社会へのアッピールがへたである。

 ③ 三好秀人氏(神奈川テレビ顧問):日記の解読に時間が掛かるならば、ポイントをピックアップしてでも、
    早く「イメージアップ大作戦」を展開すべきであり、メディアに積極的に働きかけてはどうか。
 ④ 小林照夫氏(関東学院名誉教授、元文学部長):坂田院長は教育熱心であり、人を育ててくれた。
    「建学の精神」はもっと社会にアピールしたい。

 ⑤ 海老坪眞氏(関東学院大学キリスト教と文化研究所研究員):この日に合わせて「物語風  坂田祐 見聞録」
    と題したB6版で200ページの本を上梓。皆に配って、坂田院長から薫陶を受けた話をされた。
    この本の発行日は2018年12月16日になっており、発行日前に入手したが、この日は
    坂田院長の命日になるそうです。

   海老坪眞研究員のことは学生時代に中居京教授の指導を受けて、YMCAの設立に参画されて
   初代委員長になっていますが、これは別途に報告とします。

 5時半に会合が終わり、表に出ると、キャンパスの並木とチャペルの階段や周辺が
 イルミネーションで綺麗に輝き、学生たちがそこここで写真を撮っていました。







 

入替戦,破れました

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年12月 8日(土)21時13分11秒
編集済
   本日 熊谷で2時より開催された 入替戦で関東は 中央大に47対29で敗れました。
 2トライ取ったら 1トライ返す 展開で差を広げられました。
 1部と2部の格差を見せられました。
 2部に落ちた事のない中央は 絶対に負けられないと言う闘志満々、
 関東は 勝つかもしれないと言う ふんわりした様子。
 当初トライ取られたのが この試合を物語っていてた象徴のようでした。
 結局3トライ程度のの差、 願わくは 後 20分あればと思う 我々でした。
 この雰囲気を 是正するには 死ぬ思いで 練習するほかなし、 と感じた次第です。
 このままでは 二部で勝利するものの、 一部との対抗において 望みを持てないと感じました。
 12時より 2部の東洋大は 1部の専修大に 40対 20ぐらいで完敗との事でありました。
 因みに 新装なったオリンピック用のAグランドは 月末に向けて 2試合大学選手権を
 開催するとの事でした。
 与えられる扱いの差の大なる事 改めて感じております。
 2部と1部では 幕下から十両を超えて幕内との差があると感じられました。
 中々超えられない壁と改めて考え込んでいます。
 関東学院大学 ラグビー部の皆さん、 頑張ってください、 昇格を賢明なる努力をされる様に願っていま す。  関東で 世に名前を知らしめられるのは 昭和10年の優勝以来、ラグビーだけのような気持が しています。

 以上 報告を終わります。
 

[坂田祐日記]シンポジューム

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月 7日(金)14時18分36秒
編集済
  明日12月8日午後1時半から5時に八景キャンパスのフォーサイト21で『坂田祐日記の意義と課題』
のシンポジュームがあります。

古谷圭一氏の主題講演があり、その後各界からのメンバーによるシンポジュームになります。
総合司会は富岡幸一郎教授が務め、シンポジュームのメンバーに海老坪研究員も参加されます。
詳細は関東学院大学のHPをご覧ください。

当日は熊谷でラグビーの1,2部入れ替え戦もありますが、今年のメンバーならば楽勝と信じているので、
「人になれ、奉仕せよ」の言葉を残した坂田院長の歴史と功績の話を聞きに行ってきます。


 

ラグビーの入れ替え戦情報

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年11月27日(火)08時19分48秒
    12月8日 土曜日 午後2時より 関東学院 対 中央大学戦が  熊谷市の第二グランドで
 開催されます。
  12時より 東洋大学 対 山梨学院大 との対戦、あり。
 

[内村鑑三の西郷論]

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月25日(日)18時20分27秒
編集済
  これも「西郷隆盛と聖書」の講演会で伺った話。

内村鑑三は1859年生まれで、西郷隆盛とは31歳も年が離れているが、
西南戦争で西郷が自決した年に、札幌農学校に2期生として入学。新渡戸稲造と同期。
翌年19歳の時に「ヨナタン」の洗礼名で受洗したそうです。

24歳の時に、私費で渡米し、3年半の苦労の末に理学士の称号を得て、神学校でも4か月間勉強。
帰国後、困窮時代が続く中で、著作に没頭。「基督信徒の慰め」「如何にして基督信徒になりしか」などの名作を発表。
この頃に「Japan and the Japanese」(後に[Represenntative of Japan]と改題)を発表。
英文での代表的日本人5人の紹介文ですが、そのトップに「西郷隆盛」を書いているそうです。
内村鑑三をうならせた西郷隆盛でした。

ちなみに後の4人は、上杉鷹山、中江藤樹、二宮尊徳、日蓮だそうです。
この年は、日清戦争を行った年であり「日清戦争の目的如何」を発表。盛んに非戦論を提唱していたそうで、
西郷隆盛も生きていたら同じ主張をしたことでしょう。
 

[西郷隆盛と聖書]講演内容

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月25日(日)12時32分29秒
編集済
  講演者の守部喜雅氏の今年はNHKの「西郷どん」の影響で、全国からの講演依頼が多く、引っ張りだこの状況。
1940年生まれですが、90分間の講演を疲れも見せず、身振り手振りを混じえて見事でした。

講演でのご存知の西郷物語は省略するとして、題目の聖書に関わることを書きますと、
西郷は二十歳過ぎには聖書を読んでいたそうです。そのきっかけは「これからの日本は欧米のことを理解する必要あり」でした。
西郷が好んで使った言葉の「敬天愛人」は上海カソリック教会にあった額に書いてあったもので、
現在は鹿児島の「西郷記念館」にあるそうです。

鳥羽伏見の戦いから、会津、荘内で勝利した時には「貴藩とは運命による戦いをしたが、戦いの後は兄弟である。
これからは世のため一緒に働こう」と呼びかけたそうで、マタイ伝の「汝の敵を愛せよ」の実現でしょう。

 「征韓論」問題で政府要人を辞めて薩摩に戻った西郷は、同じく薩摩に戻ったいきり立つ青年たちを抑えるために
学校を作り、そこで3年間聖書を教えており、その後の明治6年には設立間もない
「横浜海岸教会」で宣教師から洗礼を受けたそうです。

西郷は「江戸攻めか江戸開城か」で勝海舟と話し合い、江戸を守ったが、
勝海舟もキリスト教会で説教を聞いたことがあるそうです。
この頃にクリスチャンであったり、キリスト教に馴染んだ人達はかなりいて、
坂本竜馬、土方歳三、桂小五郎などもそうだったとのことでした。
 

[西郷隆盛と聖書]の講演会は・・・

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月21日(水)12時53分48秒
  2年ぶりに訪れた大学は、小田原の法学部が八景に移り、法学館としての3号館も出来上がり、中央広場の木々も大きくなり、見違えるほど綺麗なキャンパスになっていました。
もっとも皆さんは「さんようNo.64号」に掲載の写真をご覧になったでしょうが・・・

講演会場のSCC館(情報科学センター)は正門からまっすぐの正面奥の4階の建物で、その昔「キリ研」があったところ。
学生時代交代で牛乳販売をした前の広場はSCC館を背にして「オープンチャーチ」が設定されてあり、学生たちの憩いの場になっていました。

 さて講演会は学生も大勢おり、盛況でした。

 

ラグビーの報告

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年11月20日(火)09時23分3秒
編集済
    11月18日 日曜日 拓大グランドで開催された 関東学院大学と 立正大学との 試合は
  68対54二て 関東の勝利でした。
  従って 2部 1位が 関東、2位が東洋大、3位が立正大学となりました。
  12月8日 土曜日 熊谷の第二グランドで開催される 入れ替え戦は 下記の通りです。
  第一試合 東洋大学   対 拓殖大学 ⇒ 一部 最下位の上、
  第二試合 関東学院大学 対 中央大学 ⇒ 一部 最下位   一部の試合で全敗
  会場は 改装なった第一グランドではなく、 第二グランドです。
  来年度 一部に昇格すると 晴れて オリンピックの開催される 第一グランドでの試合に  なるでしょう。
  期待して 応援して 参りましょう。

  何といっても 関東学院大学の知名度を上げるのは ラグビー部の活躍です。
  益々の活躍を 期待して参りましょう。
  
 

「神と出会った人」講演その2

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月15日(木)17時32分31秒
編集済
  今回の講師は米国育ち、大学で神学の勉強をした開発センター准教授の冨田茂美チャプレンです。

テーマは「エリザベス・C・スタントン」:米国および世界の女性選挙権運動の推進者。
スタントンは1815年NY生まれ。弁護士の父親の教育を受けて育つ。成績優秀で大学に行こうとしたら
「女だから」と反対される。 当時の米国でも「レデイファースト」は建前だけであり
「女性は家を守り、夫を立てること」が優先されていました。
例えば 離婚の権利、雇用、財産権の権利などは女性には無く、ましてや選挙権も無かった。
7人の子供を育てながら、熱心なクリスチャンであった彼女は「神は男と女は平等に創られた」
女性への差別は
「神の言葉に反するものだ」との考えから、社会の男女差別の矛盾を変えることを決意。
35歳の時に仲間と女性差別撤廃の啓蒙のための新聞を発行し、また精力的にたくさんの本も出版。

1865年、50歳の時に「南北戦争」が終わり、奴隷制度の廃止、黒人への選挙権も与えられたが、
女性の選挙権は与えられなかった。
そこで同士を集めて「全国女性参政権運動協会」を作り、83歳で亡くなるまで活動を行ったが、
憲法が作られたのは没後18年の1920年のことであったそうです。

スタントンは「不屈の精神と理論的思考の持ち主であると共にユーモアのある人」で多くの人を引き付けたようです。
今回の講師も素晴らしい人であり、誰かも話してましたが「いい人材が集まってきているなあ」と感じました。
 

高尾利数先生

 投稿者:広島:南伝稔  投稿日:2018年11月11日(日)21時12分41秒
  久しぶりに古本屋に立ち寄りました

懐かしいお名前を見つけましたので、購入しました

350円でした


 

西郷隆盛から学ぶもの

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年11月 9日(金)10時39分38秒
編集済
    民を守り愛する姿勢で島津斉彬に認められ京都に上り朝廷の世を願うものの幕府にとがめられる身となり月照と共に薩摩に戻るも自藩に見放されて月照と共に錦江湾に身を投げるも一人生き残り奄美大島に流され、大久保利通の進言で帰郷するも島津久光に順応せず、再び沖永良部島
に流され現地の人、愛加奈と結婚し、苦労の末、薩摩藩の要望で帰郷、諸藩の要人と交流し、
龍馬、桂小五郎等と薩長連合を組んで討伐は戊辰戦争の主軸になり、新政府陣主軸の一員となる。 岩倉具視外国視察団外遊の3年半残留新政府陣の主力として見事な政治を司どるも帰国した外遊団と征韓論で物別れとな帰藩、色々あり西南戦争に担ぎ上げられ、結局、政府軍に敗北、
自害に至る。対した大久保利通も半年後、東京紀尾井坂で福井藩士により暗殺される。
西郷がもし外国を見て居たらこれ程大久保と意見の相異はかかったのではないかとも思い、誠に残念至極、奄美に流された際、敬天愛人・キリスト教理念に学んだと考えられる。
奄美に残した遺児・西郷菊次郎は西南戦争で片足を失うも若くして米国等に留学、京都市長も
勤め、父・隆盛を偲ばせる人物となる。  それにしても生誕の故郷・同じ町内に幕末維新の
大家が何と多く出たものか、見事という他無し。  西郷の生き方を身を持って実践した結果で
あった事でしょう。   西郷は身を捨てて事に当たる姿勢で多くの説得力を発揮し、大久保利通は理想の理念を実現線とする鋭角なる論理を展開した違いが見受けられる。 何と生き抜く事の難しい事かと感慨にふける思い多々と憶える。  明治憲法発布から日清・日露戦争まで明治政府を構築した遺勲を残した大人物がいたものの、それ以降は佐幕派を実家に持つ人たちが大学や帝国陸海軍の士官学校に学び政治家を排して大東亜戦争への道を指導し、あの敗戦となった。
肩書・勲章・星一つで部下に意見を封じ込む政治・軍略を進めた所に戦略なき戦争展開と悲惨なる敗戦を招いた要因は大きい、山本現代に至っては五十六、米内光正などは愚将と評価されつつある。暴走コンビとしてノモンハンの服部卓四郎・辻正信、蘆溝橋・インパールの牟田口廉也、等は目に余るもの在り。
昭和11年2月24日・2.26事件を起こした青年士官の皇道派を追放して以来、東郷秀樹派の統制派の天下にして 政治も軍隊も やりたい放題、したい放題、 皇道派は死と帳面する最前線に置き送り込まれる始末。
南方戦線やガダルカナルの辻正信、等は愚将の典型。  硫黄島の栗林、マレー・ラバウルで
農作物を育てて自活させた今村、比国の敗戦で悲惨な中を戦った本間、などの良識派は出世出来ない軍隊の風潮、等から 日本人の携わった戦争の実態、本質を学び直したいものです。
戦いの後、全く反省会を催さないで実態を隠しまわった山本五十六などは大いに?正に問われる必要があると感じている。   特攻隊を進めた本質的精神は純真なる武士道を元にした邪道と言わざるをむ得ない。  日清・日露の大勝に溺れたる補給兵站を無視した戦略なき戦いはどれ程多く兵士の命を奪ったか、そしてどれ程多くの未亡人、家族を生じさせたかなど窮地に帳面したる日本人の在り方を反省したいものです。
 これらの事実を知る上から真実の歴史を学ぶ必要と使命を憶えざるを得ません。
 又、今日の宗教、特にキリスト教に在っては どんどんとアレルギーを持たれている実態から
目をそらしたくないとも考えて居ます。
 教会にむおいて牧師だけが語り、その考えを全てアーメンと言う言葉で了解し、聞き返す事の出来ない仕組み、又 現代社会・経済の発展変化に全く対応し改善、改革なく、同じ理念を50年も聞いているとこれでいいのかと考えざるを得ないものも憶えても居る。
 教会に集まる人々を見ると年金生活で支えられている前期後期高齢者ばかりで全く少年少女青年、現役勤務の人は不在なるも何のむ対応もしない教会運営に不思議ささえ感じられる、これでいいのか、と。   しかし その意見を申し上げる場も、聞く耳も持たない実態に失望冴え感じる。   商売、企業なれば 即刻倒産の憂き目必定なるも 何の不自然さも感じられていないように感じている。  語られる説教において30年、50年、昔のお話を聞いても変りないモノとも思える。 歴史を取り入れたものを嫌う姿勢があるのではないか、その割に2000年以上昔の出来事、歴史は 毎週聞かされている様に感じている。
 この豊かになった現代社会で如何に生きるか、子供を育てるかの 具体的な処方は如何にするかを説く場が必要と感じている。  豊かになった社会では益々心が、生き方が貧しくなっている。  それを説く人が余りにもいない。
 思い返せば昔のTVでバカTVが多かったが今は 為になるものが殆どに変わってきている。
 変化に合わせている、対応している流れがある。
 我々はどう変わる必要が゜あるのか。

 

折々のことば

 投稿者:髭管理人  投稿日:2018年11月 8日(木)13時43分43秒
編集済
  我が家は2代にわたって、朝日新聞(朝夕刊)を取っています。父親の義兄が朝日新聞社に勤めていた関係で、昭和10年代からです。記事が「堅いから」?という勧めで。

今朝の朝刊に、小さなコラム「折々のことば」(コラムニスト:鷲田清一)という毎日1面の右隅に載っています。
時折、聖書からの一説がの載ることがありますが、今日も新約聖書からのもがありました。
 

西郷隆夫氏

 投稿者:広島:南伝稔  投稿日:2018年11月 7日(水)21時38分8秒
  過日、西郷隆盛のひ孫の「西郷隆夫氏」の講演を聞く機会がありました。

ここでは、西郷隆盛論ではなく、ひ孫であるが故の苦労話が多く語られました。

(写真の右が氏で、左は私です)
 

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