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キリスト教・宗教の限界か

 投稿者:  無法松  投稿日:2019年 4月 4日(木)10時01分37秒
   中学・高校・大學・入社した会社・結婚、と今もってキリスト教の環境の中にいる自分であります。
 『毎日が日曜日、時々盆と正月』と身近な人に言われる日々を過ごしています。
 歳も77歳、今月78歳にもなる我が身の老化もむ余り憶えないようにしていますも『紅顔可憐な少年』も年を重ねたる思いにふけっても居ます。
 それは寝だめ、悔いだめ、往年の体力不足を憶えざるを得ない現状からです。
 しかし この暇だと言われる日々を感謝して有効に用いたい気持ちは猛烈に憶えています。
 煙草を一切口にせず、酒も家ではまず口にせず、宴会の際だけ雰囲気を壊すことからちょっぴり戴くだけで
ゴルフ、ボーリング、麻雀、・・・嗜まず、楽しく心ワクワクする本屋に向かい、機会ある毎に一冊、又一冊と手に取ることが唯一の趣味でありましょうか、  日々その並んだ背文字を眺める幸いを憶えております。
 しかし YMCA寮に生活する時代に世のふけるまで論じ合った世界を懐かしまずにはいられない身でもあります。
 その思いを充たすに 隔月1回、浅草に集まる歴史研究会参加を15年続けている事は大いに満足しているのであります。
 毎回45分から1時間も時間を頂戴し、研究発表をさせて戴いたおかげで随分と勉強をさせて戴きました。
 その中でここ4~5年、心にふつふつと湧き出し、身近な存在に少し言うと、その人は あなたの信仰は間違っていますとぴしゃりと言われる長老を務めているの人だけに、それ以上言葉を続けられず、悶々とすること久しいのであります。
 そこで少しだけ記載させて戴きたく存じます。
 1 社会が豊かになる程、宗教は疎んじられる、嫌われる、避けられる、げんょうが生れるのではないか。
 2 現在の日本では アレルギーを感じられているのではないか。
 3 戦後の荒廃した社会に絶った若者が戦勝国のキリスト教に、英語に憧れて 問題意識の強い者ほど教会や  宣教師館に集い、多くを学んだのではないか、しかし時代が進むにつれてその要望は駅前の語学教室で充  たされ、教会も社会の変化に全く対応しない状況が明確に感じられてきた。
 4 倫理・道徳と言う領域では 外国に比較して我々日本人が格段に広く、深く理解する歴史を持っているの  ではなかろうか。
 5 キリスト教を含め、宗教と言う世界では 他教を全く受け入れない姿勢が極度に強い状況が在る。
 6 母校で生活して感じたのは YMCA寮と教会青年会の交流が 全くと言う位無かったのは何故か。
 7 牧師、それを育成する神学部の皆さまは 母校などの同窓会に全く顔を出さないばかりか、一緒に飲むと  言う機会もなく、避けられる状況に在り続けている。
 8 教会は全く寂れ果たしている。  年金生活者の前期後期高齢者の集団化しており、活性化しているのは
  婦人会のみ、子供、小中学生、高校生、大学生、青年、中年、管理者として社会に活躍している人、
  など全く不在、  葬式をしてもらいたいと念ずるご婦人が多いのではとさえ思える状況。
 9 現在読まれている雑誌、話題の在る本、・・・・一切目を向けない。
10 曜日で最も良い時間を礼拝に用いて 他の日を省みないで平気、父兄会も、運動会も敬遠する父系もあ  る位に。
 11 牧師に歴史問題を話し書けると 敬遠され、未来志向で行きましょうと話を閉ざされる、韓国の事と話   をしている様で、交流を避ける、しかし2000年前の聖書には誠に真剣に取り組まれているのは 如何  なものか、
 12 聖書に書かれているものは すべからく正しいものとして受け入れるが 聖書はイエスが箸実したもの  ではなく、パウロなどの有能な弟子たちが自宗教の保全発展を願い書いたものではないか、人の手になっ  た物を全く寄せ付けないが 精霊を受けたものは良いとしているのは・・・・。
 13 キリスト教を信仰している白人は 有色人種を下級種族・民族として見ており、その扱いの歴史を持っ   ている。
   大航海時代より600年間もそれを続けているのではなかろうか。
   日本の敗戦に際しての統治で東京裁判、1週間で作った新憲法の押し付け、など植民地としての統治の   在り方、に聖書に手をおいて忠実なるキリスト教信者を宣言した政治家のやる事であろうかと思う事在   り。
 14  敗戦の責任を問い、高給軍人の余りある多さの処刑・A、B、C、級と区別して ろくな裁判もせずの処   刑、縛り首の実行は それでよかったのか、。
   日新・日露戦争で日本は ノーサイドを実施したではないか、 乃木将軍は露国のステッセル大将を招   いて お互いの健闘を祝して食事を共にしたではないか、 これを如何に考えたらよかろうか
 15  一次世界大戦の悲惨な状況を鑑みて 非戦闘員、一般庶民を殺す事をしないと言う ハーグ陸戦条約
   を米国は守らず、1夜にして3月10日、東京の東地区を焼き尽くし10万人の市民をやきつくし、原爆を
   広島・長崎に投下し、一瞬にして30万人にの罪も無き市民の命を奪ったのは何故か。

   これら書ききれぬ歴史・事実を キリスト教を信仰するワスプ(白人、キリスト教、プロテスタント)

   の人々のする事であろうかと疑問を抱えざるを得ない心境に 如何に応えるのであろうか。
   と考ええ続けております。

   を信仰する人・政治家のする事であろうか
 

学ぶ日々を感謝したい

 投稿者:  無法松  投稿日:2019年 4月 4日(木)08時58分9秒
編集済
   ご報告いただいた、札幌のネイビーさんに感謝します。
 大変に勇気を与えられるニースです。 我々を育ててくれた母校関係学校の喜びを・しかも女子高校生の快挙とあっては 思わず諸手を挙げての喜びであります。共に喜び合える関係をこれまた作って貰えた喜びに対しても、感謝であります。
 これを機会として この掲示板でのより交流を密にすべく皆さんで質の高い情報を交換し合いましょう。

 巨人・4連勝成る。 久しぶりであります。 思うに巨人ファンの喜ばれる姿が浮かんで参ります。  何年ぶりでありましょう。
 それは昭和40年、24歳で会社に入社した時から心に焼き付いていた現象です。
 私は広島県尾道市に生まれ育ったことから 中々その波に今もって乗れませんでした。
 その一因は巨人ファンの多くは社会的に恵まれ、社会的地位の高い人々がこぞって皆、その群れに加わっていることでありました。
 広島カープはチーム存続の資金欠乏で選手諸君は友人知人の内に泊まり、遠征の列車では床に新聞紙を敷いて寝ながら試合地に向かったと事を知っています。
 貧しい事が如何に堪え得ぬ状況であるかを我が身も含めて同情した少年時代です。
 郷里の先輩諸氏はザル募金をしてまでその存続を支えました。
 古葉監督時代初めて優勝して以来、高給を求めて主力選手もどんどん他球団に文句なく移籍しました。  長く苦しい時代を経てやっとリーグ優勝を3年続けるようにもなり、安堵してファンである事に誇りを持てるようにもなれました。
 去り行く同僚を非難せず、帰国する黒田投手、阪神を契約しないと言われた新井選手などを快く迎えたカープの皆さん、その心の広さを憶えさせて戴きました。
 年1回は近隣の広島県人埼玉会のメンバーで西部球場へ応援に参る事を恒例にしています。
 そのスタンドも、行き帰りの電車も全く赤一色に染まっている光景に大変驚くのであります。
 聞くと広島に縁も所縁も無い人々である事を伺い、一層に驚くと共に不思議になり、何故かを繰り返している内にやっとその理由が理解できるようになりました。
 読売新聞等の強い財源に支えられて大金を惜しげもなく使って選手獲得して強さを保ってきた巨人、貧乏所帯を切り盛りしつつ今日の力をつけて来た広島カープ、貧しき者の悔しさを噛みしめて耐え抜いた人々が支え盛り上げた現象ではないかと思い返している自分であります。
 恵まれた環境が人を強くするのも解かりますものの、耐え抜く人生にも幸いを来たす事も教えられる、心を支えられる状況の在る事も教えられた野球界であると一人、感謝している次第であります。  多くの事柄、人生、人間・人としての生き方を教えられる事柄を噛みしめながら今年もTV画面を見つめています。   しかし 巨人の番組の如何に多い事かとも思います。
 しかしながら 以前と比べて 他球団の試合も増えている事に時代の波も感じられてもおります。
 一言、自問自答の胸中を書かせて戴きました。  見るもの、聞くもの、心にうつるもの等全てから学びたいものであります。
 

女子U18ラグビー セブンス

 投稿者:IvySapporo  投稿日:2019年 3月30日(土)15時52分19秒
編集済
  こんなニュースがありました。やや長文ですがお許しください。

関東学院六浦高校女子が劇的勝利! サニックスワールドユース・女子セブンズへ。

 大接戦を2試合続けてものにして、福岡行きを決めた。

 大きな舞台。国際大会が待っている。

 3月23日、24日に開催されたルーパス/ルーヴカップ第2回 関東U18女子セブンズ

ラグビーフットボール大会in Fuchu。2日目は初日の予選プールの結果より、

1位~3位、4位~6位、7位~9位グループに分かれての総当たり戦がおこなわれた。

 最高位グループに参加したBRAVE ROUVE、関東学院六浦高校女子

、國學院栃木の中で関東学院六浦が全勝し、大会初出場で初優勝を手にした。

 BRAVE ROUVEに22-17。國學院栃木に17-12。2日目の勝利は、ともに劇的だった。

 試合が決まったのは、ともにインジャリータイムに入ってから。関東学院六浦は

BRAVE ROUVE相手に17-17の同点から最後の最後に勝ち越し、國學院栃木戦では

10-12からラストプレーで逆転してみせた。

 ともに佐藤日向子が殊勲のトライを挙げた。

 特に劇的だったのは國學院栃木戦だ。2点ビハインドのまま、試合終了を告げる

鐘の音が鳴ったところから試合をひっくり返した。

 相手ボールのスクラム。タッチへ蹴り出されたら終わりの状況で、球出しに猛プレッシャーを

かける。一度停滞した後、必死に攻める相手を止め続けた。

 それでも國學院栃木はキックを蹴った。しかし、勢いを受ける中でのそれはタッチに出ず、

関東学院六浦はカウンターアタックを仕掛ける。最後は佐藤が左ライン際を駆け上がり、

歓喜の時を迎えた。

 関東学院六浦高校は2015年に創部。当時は中学生も合わせて4人でのスタートとなったが、

ガールズフェスティバルを開催するなど地道な活動を続け、少しずつ足元を固めてきた。

 昨年の大会には人数が足りず不参加も、今大会には新2年生、新3年生合わせて12人の部員全員で参加。

この春には14人の新入生が加わる予定だ。随分にぎやかになる。

 試合を終えた粂日向子(くめ・ひなこ)主将は、「チームの強みを出せた」と表情を崩した。

「オフロードパスでタテにつなぐ。低いタックルでツメて入る。やってきたことの

成果が出ました。みんなでつないでトライをとれました」

 最後の最後まで走り切れたことについては、「男子(ラグビー部)と一緒につらい

練習をやったことが活きた」と話し、大仕事の佐藤とともに、「試合よりきつい練習

をしているので」と胸を張った。

 この大会は、ゴールデンウイーク中におこなわれる『サニックスワールドユース交流大会

女子セブンズ』への出場チームを明確にするのが主な目的も、試合機会が少ない女子選手たち

にとって、嬉しい2日間となっている。


 

再送

 投稿者:本田信明  投稿日:2019年 3月 7日(木)09時09分23秒
  逆さまでしたので再送致します。  

3/7朝刊記事

 投稿者:本田信明  投稿日:2019年 3月 7日(木)08時58分16秒
  読売朝刊に載っていました。  

頭脳警察の記事

 投稿者:本田信明  投稿日:2019年 2月 8日(金)09時17分41秒
  同窓で我々には懐かしい「頭脳警察」の記事が夕刊に載っていました。紹介まで投稿いたします。  

お相撲さんが取り組んだラグビー

 投稿者:  無法松  投稿日:2019年 1月 3日(木)21時52分59秒
    2日に開催された 全日本学生選手権、 帝京 対  天理  は  29対7  天理の大勝
  グランドに登場した瞬間、何と天理の選手の体格の良い事かに驚いた。
  帝京は あの体格で何年も早稲田、慶応、明治、等の伝統校を蹴散らして 勝利を積み重ね  てきた。
  その提供の選手が小さく見える天理の選手諸君てあった。
  それを見比べた瞬間、帝京は叶わないと直感した次第であります。
  天理の選手諸君、胸も腹も大した大きさで 色黒の外国選手もかなりいた。
  正に、高砂部屋より 飛び出して来たのかと 目を見張るばかりでした。
  しかも その面々、動きが非常に敏捷で目を見張るものがあった。

  この試合は 正に大相撲の関取が展開する ラグビーと感じました。

    二部で全勝して入れ替え戦に臨んだ関東、 天理と取り組めば 幕下と幕内、しかもその上  位の三役格ではないでしょうか、ではなかろうか、  怪我無くて良かったと 思う展開で  在りましたでしょう。

  優勝戦は 天理と明治、  明治の勝ち目は全くないと思います。
  怪我の出ない試合であります様、念じております。

  
 

天理ー帝京戦

 投稿者:Ivy Sapporo  投稿日:2019年 1月 3日(木)17時52分46秒
  帝京が10連覇を目前にして敗れましたね。
この掲示板の5月1日に投稿しましたが、4月30日の札幌ドームでの明治ー帝京戦は明治の勝利でした。今年の帝京はどうしたのかな?と感じたものでした。そして、準決勝では、それ以上に天理が強かったですね。
東京勤務だった15年前。味の素スタジアムのサブグランドでの関東ー帝京戦。練習試合でしたが
関東が負けました。関東に勝ったと、赤いジャージの選手は泣いていました。そんなシーンを思い出しました。
 

花園ラグビー大会2日目

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月28日(金)13時29分11秒
編集済
  いま試合が終わり。
桐生第一が110:0米子工業の結果であり、完封の大勝利でした。

霜村監督!!おめでとうございます!


 

高校ラグビーの見どころ

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月28日(金)11時26分31秒
編集済
  昨日から「花園ラグビー大会」が始まりました。いままでは来春の大学入学を期待して、佐賀工業を
応援していました。今年は次の2校を応援しようと思います。

① 神奈川代表:桐蔭学園・・・春の王者であり、今回も優勝候補の筆頭ですが、神奈川県予選では
     関東学院六浦が準決勝で対戦。38:8で惜敗したが、六浦は年々力を付けており、
     いずれ慶應、桐蔭を破り花園への期待をしています。
    関東学院六浦の監督は大学で山村チームのFŁで活躍した林広大さんで監督就任9年目であり、優秀な選手を育てています。
     3年生のCTBの松下怜央君は花園出場以外の選手ですが、高校ジャパンに選出されています。
     この4年間は県下で桐蔭、慶應につぎ3位になっています。

② 群馬県代表:桐生第一・・・初出場。監督はあのジャパンでも活躍した霜村誠一さん
     監督就任4年目で花園出場という快挙です。
     関東学院六浦の林広大監督とは同期生です。  花園初出場、初勝利を期待しています。
 

YM初代委員長のこと

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月27日(木)18時36分23秒
  YMCA初代委員長の海老坪さんは、昨年のYM・OB会にお出でになり初期の「YMCA活動」のことなどをお話されましたが、
今年の3月に発行された「学院史資料室ニューズ・レター」にも3ページにわたり「関東学院とYMCA活動」の記載があります。

1945年10月に朝鮮・平壌から復員され、翌年4月に関東学院経済専門学校(後の大学経済学部)に入学。
中居京教授から「学内でYMCAをやらないか」と声をかけられて、6月にYMCA設立前の相談会を開催。
その時の7名のメンバーで参加者募集を行った結果、21名が参加。部長に中居京教授。
講師には工専の山枡教授と経専の柴三九郎教授を迎えてスタートしたそうです。
上級生もいたけれど、出征したことで入学が遅れたものの、中学部では一番の先輩になる海老坪さんが委員長に推薦されたそうです。

さっそく、6/15,6/22(土)の午前に霞ヶ丘教会で宗教後援会を行っています。
講師は時田信夫教授と中居京教授。

夏休みの7月11-13の3日間、葉山で修養会も開催(この時は夏季聖書集会の呼称)しています。
この当時は3日間葉山に通い、10時から16時までの開催で日帰りの集会だったそうです。
3日目には坂田院長が「内村鑑三との思い出」と題して、内村鑑三と共に聖書を学んだことを話されたとのこと。
また三春台出身の伊藤卓二先生も参加して、作者として「青海は・・」の校歌を披露。歌詞の解釈もされたそうです。
 また東山荘の夏季学校にもこの時から代表者が参加されています。

 海老坪さんは1949年に卒業されますが、4月から同志社大学神学部に入学。
翌年4月に日本基督教神学専門学校に転校。1953年に卒業。

京都バプテスト教会伝道師として働き、3年後の1956年4月に関東学院中高宗教主任に就任されます。

その11月に関東学院磯子伝道所を開設。11年後にバプテスト同盟磯子の丘教会を設立。
坂田院長とは21年間の長いお付き合いになります。

経歴については「坂田祐見聞録」の著者紹介から抜粋しました。
今年12月で94歳6か月とのことですが、まだまだお元気であり、来年もOB会に参加いただきたいと思いました。
 

[坂田祐見聞録]より

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月19日(水)13時55分52秒
編集済
  『坂田祐日記』シンポジュウムで入手した海老坪さん著作の【物語風 坂田祐見聞録】は興味深く一気に読みました。

坂田院長の先祖は白虎隊隊長であるという話は聞いていましたが、この本によりそれは母方のことであり、
父親の中村富蔵さんは、織田信長死後の覇権争いで豊臣秀吉(羽柴秀吉)が柴田勝家と決戦を行った
「賤ケ岳七本槍」の一人である武士の直系で15代目にあたるとのこと。
ご両親共に歴史に名が残る武士の末裔になります。

 戊辰戦争で敗れたために、会津から青森県下北半島の最北に移封。23万石の石高が大幅に減らされて3万石になり、
しかも慣れない土地での藩士家族の生活はどん底の極みであった。

 そこから18歳の時に、家出同然で日雇いの仕事などをしながら4か月かけて東京に行きます。
仕事を求めて横浜や横須賀に行くが良い仕事が無く、心機一転と当時日本最大の炭鉱会社でありかつ大都会の足尾まで、
数日かかって徒歩で行き、少しだけのつてにより、足尾銅山で仕事をするようになるが、同時に
生涯最大の恩人に出会うことになる。これ以降は自叙伝「恩寵の生涯」などで確認下さい。

坂田院長と海老坪さんのお二人とも戦地に行き、生死を経験したという共通点があります。
坂田院長は足尾銅山時代に二十歳になり軍隊生活が始まります。近衛騎兵聯隊に所属。
日露戦争になり、旅順会戦に参加。ロシアの攻撃も凄まじく「部下が僅か6名になった。今か今かと敵弾の当るのを待っていた。
『主よ、身元に近づかん・・』の讃美歌を音痴のわたしが敵の砲声に和して歌った」と語っています。

 海老坪さんは1943年3月に関東学院中学部を卒業。その3か月後に信仰告白し受洗します。
大東亜戦争の真最中であり、徴兵制が1年早まり、卒業半年後に軍隊に。飛行訓練を受けて
翌年の8月に陸軍航空隊に配属。終戦2か月前の6月に朝鮮平壌に転属、特攻隊要員になるが、運よく終戦となり、
2か月後の10月に軍曹で復員帰国となります。やはり危機一髪でした。

戦争の体験により、非戦主義者になり『神のみ旨にかなうキリストの平和の戦士になる』ことを決意されています。 
 

[坂田祐日記]シンポジュウム

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月11日(火)19時05分27秒
編集済
  八景キャンパスで開催の「『坂田祐日記』の意義と課題」のシンポジウムに行ってきました。

 前の席に小林照夫元文学部長が座ったので、久し振りにご挨拶を。
増田理事長は最後の総評をするためか、一番前の席。その後ろに総合司会役の富岡幸一郎教授。
理事長に「ラグビーの入れ替え戦が気になりますね」の問いかけに、この会合は大事なので致し方ないとの弁でした。

 富岡教授の開会あいさつと祈りでスタート。 概略を下記します。

1.テーマの講演:古谷圭一教授は坂田院長とは年齢が56歳も離れているけれども、東大から四 谷教会で
   受洗したという同じ経験をされており、縁が深く日記の解読に携わっておられる。
   日記は62冊もあるために大変だけれども、来年は院長の没後50年になり、中高関東学院  の
   創立100年になるのでなんとか目途をつけたいとのこと。

2.シンポジウム:5人の発題者
 ① 中村崇高氏(元県立公文書感研究員):貴重な資料であり、散逸や損傷しないうちに
    アーカイブ情報化すべきである。

 ② 樋口良澄氏(国際文化学部研究員、元岩波書店編集部):坂田祐日記は西脇順三郎(元ノーベル文学賞候補)
    に匹敵するもので、早慶大などの創立者の逸話に劣らないものである。
    関東学院は一般社会へのアッピールがへたである。

 ③ 三好秀人氏(神奈川テレビ顧問):日記の解読に時間が掛かるならば、ポイントをピックアップしてでも、
    早く「イメージアップ大作戦」を展開すべきであり、メディアに積極的に働きかけてはどうか。
 ④ 小林照夫氏(関東学院名誉教授、元文学部長):坂田院長は教育熱心であり、人を育ててくれた。
    「建学の精神」はもっと社会にアピールしたい。

 ⑤ 海老坪眞氏(関東学院大学キリスト教と文化研究所研究員):この日に合わせて「物語風  坂田祐 見聞録」
    と題したB6版で200ページの本を上梓。皆に配って、坂田院長から薫陶を受けた話をされた。
    この本の発行日は2018年12月16日になっており、発行日前に入手したが、この日は
    坂田院長の命日になるそうです。

   海老坪眞研究員のことは学生時代に中居京教授の指導を受けて、YMCAの設立に参画されて
   初代委員長になっていますが、これは別途に報告とします。

 5時半に会合が終わり、表に出ると、キャンパスの並木とチャペルの階段や周辺が
 イルミネーションで綺麗に輝き、学生たちがそこここで写真を撮っていました。







 

入替戦,破れました

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年12月 8日(土)21時13分11秒
編集済
   本日 熊谷で2時より開催された 入替戦で関東は 中央大に47対29で敗れました。
 2トライ取ったら 1トライ返す 展開で差を広げられました。
 1部と2部の格差を見せられました。
 2部に落ちた事のない中央は 絶対に負けられないと言う闘志満々、
 関東は 勝つかもしれないと言う ふんわりした様子。
 当初トライ取られたのが この試合を物語っていてた象徴のようでした。
 結局3トライ程度のの差、 願わくは 後 20分あればと思う 我々でした。
 この雰囲気を 是正するには 死ぬ思いで 練習するほかなし、 と感じた次第です。
 このままでは 二部で勝利するものの、 一部との対抗において 望みを持てないと感じました。
 12時より 2部の東洋大は 1部の専修大に 40対 20ぐらいで完敗との事でありました。
 因みに 新装なったオリンピック用のAグランドは 月末に向けて 2試合大学選手権を
 開催するとの事でした。
 与えられる扱いの差の大なる事 改めて感じております。
 2部と1部では 幕下から十両を超えて幕内との差があると感じられました。
 中々超えられない壁と改めて考え込んでいます。
 関東学院大学 ラグビー部の皆さん、 頑張ってください、 昇格を賢明なる努力をされる様に願っていま す。  関東で 世に名前を知らしめられるのは 昭和10年の優勝以来、ラグビーだけのような気持が しています。

 以上 報告を終わります。
 

[坂田祐日記]シンポジューム

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年12月 7日(金)14時18分36秒
編集済
  明日12月8日午後1時半から5時に八景キャンパスのフォーサイト21で『坂田祐日記の意義と課題』
のシンポジュームがあります。

古谷圭一氏の主題講演があり、その後各界からのメンバーによるシンポジュームになります。
総合司会は富岡幸一郎教授が務め、シンポジュームのメンバーに海老坪研究員も参加されます。
詳細は関東学院大学のHPをご覧ください。

当日は熊谷でラグビーの1,2部入れ替え戦もありますが、今年のメンバーならば楽勝と信じているので、
「人になれ、奉仕せよ」の言葉を残した坂田院長の歴史と功績の話を聞きに行ってきます。


 

ラグビーの入れ替え戦情報

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年11月27日(火)08時19分48秒
    12月8日 土曜日 午後2時より 関東学院 対 中央大学戦が  熊谷市の第二グランドで
 開催されます。
  12時より 東洋大学 対 山梨学院大 との対戦、あり。
 

[内村鑑三の西郷論]

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月25日(日)18時20分27秒
編集済
  これも「西郷隆盛と聖書」の講演会で伺った話。

内村鑑三は1859年生まれで、西郷隆盛とは31歳も年が離れているが、
西南戦争で西郷が自決した年に、札幌農学校に2期生として入学。新渡戸稲造と同期。
翌年19歳の時に「ヨナタン」の洗礼名で受洗したそうです。

24歳の時に、私費で渡米し、3年半の苦労の末に理学士の称号を得て、神学校でも4か月間勉強。
帰国後、困窮時代が続く中で、著作に没頭。「基督信徒の慰め」「如何にして基督信徒になりしか」などの名作を発表。
この頃に「Japan and the Japanese」(後に[Represenntative of Japan]と改題)を発表。
英文での代表的日本人5人の紹介文ですが、そのトップに「西郷隆盛」を書いているそうです。
内村鑑三をうならせた西郷隆盛でした。

ちなみに後の4人は、上杉鷹山、中江藤樹、二宮尊徳、日蓮だそうです。
この年は、日清戦争を行った年であり「日清戦争の目的如何」を発表。盛んに非戦論を提唱していたそうで、
西郷隆盛も生きていたら同じ主張をしたことでしょう。
 

[西郷隆盛と聖書]講演内容

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月25日(日)12時32分29秒
編集済
  講演者の守部喜雅氏の今年はNHKの「西郷どん」の影響で、全国からの講演依頼が多く、引っ張りだこの状況。
1940年生まれですが、90分間の講演を疲れも見せず、身振り手振りを混じえて見事でした。

講演でのご存知の西郷物語は省略するとして、題目の聖書に関わることを書きますと、
西郷は二十歳過ぎには聖書を読んでいたそうです。そのきっかけは「これからの日本は欧米のことを理解する必要あり」でした。
西郷が好んで使った言葉の「敬天愛人」は上海カソリック教会にあった額に書いてあったもので、
現在は鹿児島の「西郷記念館」にあるそうです。

鳥羽伏見の戦いから、会津、荘内で勝利した時には「貴藩とは運命による戦いをしたが、戦いの後は兄弟である。
これからは世のため一緒に働こう」と呼びかけたそうで、マタイ伝の「汝の敵を愛せよ」の実現でしょう。

 「征韓論」問題で政府要人を辞めて薩摩に戻った西郷は、同じく薩摩に戻ったいきり立つ青年たちを抑えるために
学校を作り、そこで3年間聖書を教えており、その後の明治6年には設立間もない
「横浜海岸教会」で宣教師から洗礼を受けたそうです。

西郷は「江戸攻めか江戸開城か」で勝海舟と話し合い、江戸を守ったが、
勝海舟もキリスト教会で説教を聞いたことがあるそうです。
この頃にクリスチャンであったり、キリスト教に馴染んだ人達はかなりいて、
坂本竜馬、土方歳三、桂小五郎などもそうだったとのことでした。
 

[西郷隆盛と聖書]の講演会は・・・

 投稿者:武蔵小杉  投稿日:2018年11月21日(水)12時53分48秒
  2年ぶりに訪れた大学は、小田原の法学部が八景に移り、法学館としての3号館も出来上がり、中央広場の木々も大きくなり、見違えるほど綺麗なキャンパスになっていました。
もっとも皆さんは「さんようNo.64号」に掲載の写真をご覧になったでしょうが・・・

講演会場のSCC館(情報科学センター)は正門からまっすぐの正面奥の4階の建物で、その昔「キリ研」があったところ。
学生時代交代で牛乳販売をした前の広場はSCC館を背にして「オープンチャーチ」が設定されてあり、学生たちの憩いの場になっていました。

 さて講演会は学生も大勢おり、盛況でした。

 

ラグビーの報告

 投稿者:  無法松  投稿日:2018年11月20日(火)09時23分3秒
編集済
    11月18日 日曜日 拓大グランドで開催された 関東学院大学と 立正大学との 試合は
  68対54二て 関東の勝利でした。
  従って 2部 1位が 関東、2位が東洋大、3位が立正大学となりました。
  12月8日 土曜日 熊谷の第二グランドで開催される 入れ替え戦は 下記の通りです。
  第一試合 東洋大学   対 拓殖大学 ⇒ 一部 最下位の上、
  第二試合 関東学院大学 対 中央大学 ⇒ 一部 最下位   一部の試合で全敗
  会場は 改装なった第一グランドではなく、 第二グランドです。
  来年度 一部に昇格すると 晴れて オリンピックの開催される 第一グランドでの試合に  なるでしょう。
  期待して 応援して 参りましょう。

  何といっても 関東学院大学の知名度を上げるのは ラグビー部の活躍です。
  益々の活躍を 期待して参りましょう。
  
 

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