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見やすい

 投稿者:つばさ  投稿日:2013年 8月30日(金)19時26分58秒
  HPがかなり見やすくなりましたね。あとは、小形牧師のことが気になります( ^)o(^ )

神にあるくつろぎ
"わたしの義を助け守られる神よ,わたしが呼ばわる時,お答えください。あなたはわたしが悩んでいた時,わたしをくつろがせてくださいました。わたしをあわれみ,わたしの祈りをお聞きください。”(詩篇4篇1節)
この歌の作者ダビデは,悩み多き世にあって,神様は私にくつろぎの心を与えて下さったと感謝しています。
外からの圧力のままに生きることや,自分の感情のままに生きて人に対していらいらする事や,悩みの時に途方にくれて,絶望的な思いに支配されてしまうのは,くつろぎがないからであります。
愛なる神は,私共に神の御前にあってくつろいだ心を持たしめて下さいます。主の十字架の贖いによって,私共の罪を赦し,神を天のお父様とお呼びして親しく広い心を与えて下さるのであります。このくつろぎは,神の愛の中にあるくつろぎでありますから,ゆったりとした心で自分を見,また,様々な悩み苦しみに負けない力を与えられるのであります。世の中が忙しくなって,人の心が,機械や組織に使われるようになる恐れのある時,この詩篇の言葉を深く思い返して,くつろぎのある生活へと導かれとうございます。
 
 

昔のコラム

 投稿者:つばさ  投稿日:2013年 8月24日(土)19時08分3秒
  “あらゆる艱難の中にあって喜びに満ちあふれている。”
(コリント人への第二の手紙7章4節)
人は誰でも,その生涯のうち色々の困難・失敗・試練の時に出会います。しかし,どんな場合にも,自分の心のままにこれに対処し己が手腕と努力と知恵とだけで切り抜けようとすると困ったものを身につけるようになります。努力を誇る者は,他に対して優越感をもって柔らかみを失って冷たくなる危険があり,己が知恵に頼る人は,他の人を道具として自己中心の道を切り開こうとして自己本位で成功の道を勝ち取ろうといたします。
しかし,神の愛を知って生きる者は,いつも自分が神の愛に支えられていることを意識するから,思うようになっても神に感謝し,思うようにならぬも神に感謝する心を失わないのであります。それは,どんな困難と思われる時にも自分にとって良いことであると信じているから,感謝しつつ事に処し,ますます善なる方向に成長してゆくからであります。神の愛こそ,人を造り成長させる秘訣であります。
 

投稿について

 投稿者:rihito  投稿日:2013年 8月11日(日)08時01分26秒
  せっかく投稿していただきましたが、少しルールに反するものと思われましたので、削除させていただきました。  

若い頃の思いで

 投稿者:rihito  投稿日:2013年 4月 5日(金)21時10分13秒
  若いときは、情熱が先走り結構恥ずかしい思いでもありますが、自分なりにそれはまた違った意味で、若い時こそ情熱いっぱいに行動することこそ、大切な事だと、今でもそう思っています。今の教会にもそのような若い人が育つような環境があったらなぁと思っています。  

他人事

 投稿者:つばさ  投稿日:2013年 3月 3日(日)18時18分46秒
  定年なんて来ない!他人事だ!!
そう思っていたのが、ついこの間のように思う。
しかし、時は待ってくれず、ついにその仲間入り。

無牧で集まっているのは年配の方々ばかり。気の毒に。
まるで他人事のように思っていた教会があった。
しかし、今、我が身を振り返ってみると無牧なり。
そして、教会員の礼拝出席者は20~25人で、そのほとんどが年配者だ。
いつから、このようになったのだろうか。
とりわけ、この8年間で、洗礼を受けて礼拝に出席をしているのは2名だ。
この季節、あの人この人と鳴門を離れて行く。
まもなく、長老教会ならぬ老人教会となるであろう。
 

1月6日の礼拝

 投稿者:rihito  投稿日:2013年 1月10日(木)20時47分6秒
  小形牧師の説教と聖餐式の礼拝でした。その中で、牧師のお話で、鳴門教会の印象(かな)として、兄弟姉妹、教会に集まる人々のことをとっても大切にする教会との事でした。そうかもしれないですね。家庭的と言う感じかな。  

11月11日の礼拝

 投稿者:rihito  投稿日:2012年11月12日(月)21時04分17秒
  雨と強風の中、朝ランニング11キロを走ってから、礼拝に出席しました。少し遅刻しましたが、やはり、教会での礼拝はいいですね。賛美歌の響き、祈りの言葉、聖書の朗読と礼拝の説教、この日は三谷長老の奨励でしたが、イエス。キリストのことばをそのままに伝えてくださいました。深い感銘と慰めの言葉です。礼拝の席に座る、そのことの確かな居場所は、いつも優しく迎えてくれます。  

礼拝説教

 投稿者:rihito  投稿日:2012年10月 9日(火)21時38分33秒
  先日は、小形牧師のメッセージでした。とっても、温かいメッセージをありがとうございました。  

礼拝説教

 投稿者:rihito  投稿日:2012年 8月28日(火)20時07分30秒
  先日は、山本長老のメッセージでした。とてもこころに響くすばらしいメッセージでした。お仕事も大変な中、ご準備くださりありがとうございました。こうして、牧師が不在となり、厳しい状況ですが、長老のみなさまのご奉仕に感謝です。  

克己の生活

 投稿者:つばさ  投稿日:2012年 7月27日(金)22時19分30秒
  「暑いなあ」が、すっかり挨拶になってしまいました。
そういう私も、今日は4㍑位の水分を補給したのですが
トイレには一度も行きませんでした。
それだけ、汗をかいているという事でしょうか。

克己の生活
信仰生活は,自分に打ち勝って神に従う生活であります。
ひたすら主を見つめ,主に従う生活を妨げるものを潔く切り捨てる事が信仰生活に伴います。そこから,貪欲・節制の生活が古くからキリスト者生活に於いて重視されてきた事は当然であります。例えば,日本の諸教会では,明治以来,禁酒・禁煙の生活が協調されてきました。酒に酔った上での生活の乱れや,酒・煙草の過度の使用によって,個人的には心身を害し社会的には問題を起こし,信仰生活の妨げになることが少なくないのであります。
“だから,愚かな者にならないで,主の御旨がなんであるかを悟りなさい。酒によってはいけない。それは乱行のもとである。”(エペソ人への手紙5章17~18節)
ですから明治以来,教会が信仰の決断として主張し実行してきた一つの美風であります。教会によって,主張することについて色々あるでしょうが,お互いは信仰による自由の決断によって,信仰の前進の為に自分の欲望に打ち勝った生活は,キリスト者にとってなくてはならないものであります。欲望に打ち勝つ克己の生活は,一朝一夕に完成し得るものではないが,若い時代から一貫して忍耐と努力を続けましょう。自分の克己生活のゆえに他人を見下げたり高ぶったりすることなく,いつも主を見上げて信仰の道を歩み続ける者でありとうございます。
 

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